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コンピューターはどこまでこころを伝えられるか? あるソフトの試み


2002年10月2日

コンピューターは、人のこころの中にひそむ曖昧模糊とした思いを、どこまですくい上げることができるのだろう? そんな命題に挑戦しているソフトウェア開発グループがある。セイコーエプソン(株)応用商品開発推進部で、SEPATA(セパタ)という名前のソフトを開発している部隊だ。リーダーの服部信次さんは語る。

「ビジネスのツールではなく、生活の一部となるような道具。何かひとつの目的のためでなく、自分というものを見つめ直すためのソフトを目指したかった。論文を作るときのようにロジカルに大上段に振りかぶるのではなく、“わたしって何が好きなんだっけ?”“何を求めてるんだっけ?””何がほしいんだっけ?”というのを普通のひとがふわふわと考えるように入力していけるものを作りたかった」

SEPATAのコンセプトを象徴する“Heart Tree”の画面
SEPATAのコンセプトを象徴する“Heart Tree”の画面。樹木の上に月の周期で自分が書いたメモが散りばめられる。自分が書いたものに楽しかったものが多かったのか、それとも悲しいことが多かったのかが色合いから浮き上がってくる。ときには特別なメッセージも届く

アイデアプロセッサーが目指したもの

SEPATAはMacintosh風のルックアンドフィールを持つ、情報管理ソフトの一種だ。Windows 98/Me/2000/XPで動作する。機能の基本は、メモ帳。起動してボタンを押すと、小さなメモウィンドウが開く。文章を入力する。保存の操作をする必要はない。閉じれば、勝手に保存されている。メモ同士はリンクによって互いに関係性を持たせることができる。リンクはパソコンのHDD上のファイルやウェブサイトのURLなど外部にも張ることが可能だ。またネットワークシンクロ機能を使って同期させ、会社や自宅、携帯電話で同じメモを扱うこともできる。過去に2度バージョンアップされ、現在は完全無料版がウェブサイトで公開されている。

こんな風に紹介文を並べてみると、SEPATAはネットワーク機能を持ったアイデアプロセッサーのようにも見えてくる。

アイデアプロセッサー。同じようなソフトウェアのジャンルとして、アウトラインプロセッサーやドキュメントプロセッサーなどもある。最近はあまり注目されていないが、1980年代から90年代にかけてのある時期、発想を整理し、論文などの長い文章を書くためのツールとしてもてはやされた。トップダウンで大きなタイトルから小さな見出しへとだんだん思考を固めていったり、あるいは思いついたばらばらな考えを並べ替え、ボトムアップでまとめていくなどの頭脳作業を可能にしてくれる。いまでもこうしたツールがなければ文章が書けない、と言う愛好者は少なくない。

技術書や論文など、ロジカルな思考をまとめ上げていく。アイデアプロセッサーはそうした文章を作成するのには非常に有効なツールだ。しかし、もちろん万能ではない。まず第1に、ロジカルなアイデアがわいてこない人はどうすればいいのか。アイデアプロセッサーは豊富にわいてくるアイデアを交通整理するのには便利だが、自分の頭の中にある言葉にならないあいまいな思いをなんとか整理したいと思っている人には使いづらい。第2に、自分が何を書けばいいのかわかっていない人にとっては、“まず最初に目的ありき”なアイデアプロセッサーは役に立たない。

コンピューターの日用品化で、あらたな文化が……

コンピューターがこれだけ普及し、パソコンはとうに技術者やマニアだけのものではなくなった。主婦やお年寄り、女子高校生といった普通の人々が使うコモディティー(日用品)となり、あいまいで漠然とした思いが支配する日常生活を整理するツールとなったのだ。そうした世界を支配するのは、ロジックではない。自分の精神の中にあるなにものかを整理できないどころか、それに言葉も文章もつけられず悶々と日々を送っている人にとっては、明確な言葉を使ってきちんと記述し、それに明快な見出しをつけないといけないアイデアプロセッサーはあまり有効ではない。

そうした時代にあって、SEPATAは登場してきた。このソフトの狙っている場所は、アイデアプロセッサーとは異なるパースペクティブにある。

SEPATAのメモ帳のカードは、感情によって制御されている。それぞれのカードは内容にあわせ、さまざまなテーマをつけることができる。「好きだったもの」「小さい頃の夢」「転機になったこと」「影響を受けた人」「やってみたいもの」「克服したいこと」「実現した夢」。色を変えることも可能だ。Challengeは黄色、Angryは赤、Lonelyは紫、Sadは緑。作ったカードは相互にリンクを張ることができ、またURLや音楽ファイル、写真データなど他のデータにもリンクできる。そうしてハイパーリンクの網を作り上げていくうちに、自分の中にひそむ問題点や本当の気持ち、気持ちの揺れなどを再認識させようというのだ。要するにSEPATAは“自分を振り返る”ためのソフトなのである。

自分探しのツールの原点は学生時代のノート

開発者の服部さんは、「これは自分を再確認するための道具なんです」と言う。仕事の目的が目の前にあり、それを完成させるためのアイデアプロセッサーではなく、みずからのこころと向き合うためのソフトだという。服部さんがこのソフトの発想を得たのは、もう20年以上も前の学生時代の習慣がきっかけだった。読んだ本から文章を抜き書きし、自分と対話し、頭に浮かんできたさまざまな思いをノートに書き付けるという習慣だ。

服部さんは語る。
「随想録みたいなノートを作っていて、自分自身に対する発見はいくつもあった。時にふれて読み返し、たまにはオレもすごいことを考えていたんだなあと思ったこともあるし、その反面でなんて幼稚だったんだとがっかりすることもあった。長いスパンで見てみると、自分の考えは何度も同じところを行ったり来たりしていて、あるいは言い方を変えれば、自分がいま考えていることのきっかけはすごい遠い昔にあったり。そうやって眺め渡してみると、高校のころから自分はあまり成長してないのかもとも感じた。ともかくそういう自分の思考の流れというのが、非常に興味深かったわけです。そのノートはもう失なわれてしまったんですけどね……」

SEPATAが目的としているのは自分らしさの発見だという。自分が何を良いと感じ、何を美しいと感じるか。そうしたシンプルな感情を、何の注釈もなしに表わすのはいまや難しくなっている。たとえば映画に感動したことを他人に伝えるのだって、「一般受けする映画だけどね、ぼくは嫌いじゃないよ」「まあベタベタな映画だけど、たまにはこうした映画の良さも味わなければ」「小難しいマニアックな映画だけど、ぼくは好きだ」といった具合。ただシンプルに「素晴らしかった!」「良かった!」とは言いにくい。

こうした傾向は、インターネット時代の到来でますます顕著になった。作家の瀬名秀明氏も、10月1日付日本経済新聞夕刊のコラムでこんな指摘をしている。「一部の人は自分で(インターネットの自分のサイトに読書の)感想文を書く前に、どうやらその本のタイトルをウェブ検索して、他人の評価を確認しているようなのだ」「孤立していたはずの評価が影響を及ぼしあい、ひとつの大きなうねりを作っている」――。

ネットの普及が、独立した思考を妨げはじめている?

何でもネットで検索して、他人のウェブを読んでいるうちに、いつしか自分の意見も影響を受けていく――。それが良いことなのかどうかは置いておくとして、SEPATAはあえてネットからは一歩外れた場所に身を置こうとしているという。「あえてこういう時代に自分の頭の中にある情報にこだわり、その中で自分を確立してみたいと思った。ウェブの検索はいまやたいへんな精度でできるようになったけれど、逆に自分のデータの検索については物足りなくなってる」と服部さんは言う。

もちろん、SEPATAはインターネットを拒否しているわけではない。現在でもネットを介したシンクロナイズ機能は装備しているし、「きちんと自分探しをしたうえで、そのうえで他の人とゆるやかに結びついて意見や思いを交換できるようにならないだろうかと考えた」と言うのだ。SEPATAのネットワーク機能は、メールとも掲示板ともグループウェアとも異なるオータナティブな方向性を模索しているという。SEPATAチームの割石春世さんは「ベースとしては掲示板的な形を考えている。掲示板上で何かの話題に参加するとき、『ああ、もうこの話題は沈静化してるな』とか『いまちょっと入れるような雰囲気じゃない』といったそのコミュニティー自身のリズムや呼吸はどこの掲示板にもあると思うのです。そうしたリズムと、自分のペースをうまくマッチさせられるような形でコミュニケーションできるものを作りたい」と話す。だがまだその具体的なかたちは見えていない。

服部さんは語った。「結局のところ、ぼくは自分探しを求めているのかもしれない」。こころの表面に浮かんでくる短い断片を編み上げて、探し求めた本当の自分は見つけられるのだろうか?

(編集部 佐々木俊尚)


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